学校は多様な個性をもった子どもたちが学んでいます。大人に悩みがあるように子どもたちにも悩みを抱えている場合もあります。
それは、時として自分より弱い者へと向けられる可能性があります。
この記事では、居心地がよい学級づくりに向けて、教師の人権感覚の大切さについて説明していきます。
ひとり一人の人権を尊重する
結論からいうと学級経営は、「ひとり一人の人権を尊重すること」が最も重要です。
子どもたちの人権を尊重していくためには、学校の先生の人権感覚が必要です。学校の先生に人権感覚が欠如していては、子どもの人権が傷つけられたり、服務事故が起きたりする可能性が高まります。
学級経営における人権感覚を分かりやすく説明すると、子どもたちが傷ついているかもしれない状況を「もしかしたら」と「想像」することにあります。
そして、1%の「もしかしたら」を想像し、それを阻止することが専門職として求められます。この感覚を磨くことが、相手の痛みを想像して、なすべきことを判断していくことへの初めの一歩となります。
なお、文部科学(2008)は人権感覚について、以下のように説明をしています。
「人権感覚とは、人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である。」
詳細については、文部科学省HP「学校教育における人権教育の改善・充実の基本的考え方」をご参照ください。
出典:文部科学省・人権教育の指導方法等に関する調査研究会議「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」,2008年.
判決書からみる教師の人権感覚
教師の人権感覚が欠如していることを問題であることを指摘している判決書があります。
中学生(1994年5月20日高裁判決[確定])(葬式ごっこ事件)
○フェルトペンをつけられて「笑う」時がある。
・生徒は授業中の教室内で、特定の生徒たちから、休憩時間中、顔にフェルトペンで口ひげのような模様を書き込まれていた。嫌がる様子もなく、教室前の廊下等を踊るように歩いていた。
判決は、その表情がどうであれ、「通常人の感覚からすれば屈辱的な仕打ち」であった。「一見ひょうきんな振舞いをしたこと」が心情を表わすものではないと指摘した。
参考文献:梅野正信『教育管理職のための法常識講座』上越教育大学出版部,2015年を参照
教師は、児童が笑っているけどその表情の裏にある悲痛な心情を想像することが求められます。そして、教師は教育の専門職であり、児童の安全を守る安全配慮義務という社会的な責任を担っています。
このように1%の「もしかしたら」を想像し、それを阻止するためには、「相手の痛みを想像して、なすべきことを判断していく力」が必要です。このような状況に気付き、なすべきことをしていくことによって、教室の安全や秩序が保つことができます。すなわち、学級経営の必然的領域を守る一歩目は、教師の人権感覚から始まるのです。
もしかしたらを想像したら、声をかけることがとても大切です。特別な言葉はいりません。あまり目立たないところで、
と声をかけることをおすすめします。
「ちょっと・・・・。」と相談してきたら、改めてじっくりと話を聞くことができる環境を整える必要があります。
ポイントは、他の子どもたちの目線をそらして、静かなところでじっくりとお話を聞くことです。そのため、時間と場所を整えるように配慮をしましょう。
生徒指導には、予防への対応と早期対応が大切です。早目にアプローチすることは、最悪の事態を免れるために必要なことです。必然的領域を守ることが居心地のよい学級経営には欠かせません。

教師の声かけは無駄になりません
「特に何もありませんよ。」と言われたら、

と伝えましょう。こちらの杞憂に終わったとしても、声をかけることによって、「先生は自分のことを見てくれている」というメッセージを伝えることができます。
このことで、何かあった際には、学校の先生に声をかけやすくなる効果も期待できます。
教室は、先生一人に対して子どもたちの集団(約30名)で構成されています。大切なことは、「先生はあなたのことを大切に思っている」というメッセージを伝えることです。これが、信頼関係を築くことに欠かすことができません。
子どもは自分から相談できる場合と、ずっと我慢し続けて自分からは相談することができない場合があります。だからこそ、こちらから声をかけることが大切です。
どちらの返答の場合も居心地がよい学級経営をしていくうえでプラスに働きます。これが人権を尊重する基盤となり学級経営の必然的領域を守ることにつながるのです。
どちらの返答でもプラスになるなら、実行したほうがよいと思いますが、読者のみなさんは如何でしょうか。
まとめ
人権感覚が磨かれた教師の存在は、子どもたちが居心地がよい学級を営むために必要なのです。